「瀬戸内しまなみ海道開通25周年」連携企画 25(ニジュウゴ)エピソード
入選作品(10作品)をご紹介します。

入選作品①:すなお さん(愛媛県宇和島市)

《エピソード》

1994年11月25日に生まれた私と、同年7月25日に生まれた妻は、めでたく今年(2024年) 1月25日に入籍し、夫婦となりました。 私が、初めてサイクリングでしまなみ海道を渡ったのは、平成25年の夏でした。愛媛大学に入学し、愛媛に来た記念として渡りました。(ちなみに妻はそれより前に渡っています。) 私と妻が出会ったのは、大学3年の時でした。その時は、深い関係にはなりませんでしたが、社会人になってから、縁あって再び会うことになりました。そこから付き合うようになり、数え年で25歳になる、2019年の8月にはしまなみサイクリングデートをしたのはいい思い出です。その年は、しまなみ海道途中のゆめしま海道(上島町)に勤務しており、何度もサイクリングやランニングでしまなみ海道を利用させていただいていました。 素敵な景色が広がるしまなみ海道は、私たちのお気に入りの場所の一つです。今後も地元の人やサイクリスト(利用者)にとって気持ちの良い場所であり続けて欲しいです。

入選作品②:茅原 一斗さん(愛媛県松山市)

《エピソード》

高校時代、愛媛と広島が繋がる橋など無知でした。受験で広島に進学したかったのですが当時は船が主流で難しいかなと思っていました。しかし両親から建設中の橋がつながり便利に本州方面に行けるようになるよと進学を推してもらい広島の大学へ進学できました。25年前の夢と希望にあふれた18歳。地元の友達と遊ぶ事が多かったのでバイクでよくしまなみ海道で帰ってましたが、当時は高速道路が全開通ではなく島ごとに降りて登って…結構大変でした。最後の多々羅大橋手前で燃料が切れて歩道でバイクを押して帰ったのは今では良き思い出です…そして25歳には広島で就職し、松山で開催する結婚式の打合せでしまなみ海道を車で往復…ほぼ毎週末でしたね。ジャパハリの哀愁交差点をききながら、「いつか 帰ってきたよ」そう言いたくて…でした。10年の広島生活を経て転職で家族と地元に帰った時もしまなみ海道だったなぁーと思いながら。ありがとうしまなみ海道。

入選作品③:福田 真也さん(広島県安芸郡府中町)

《エピソード》

2013年3月、大学生だった私は友人と忘れられない1泊2日の自転車旅に出た。旅の目的は、おいしい料理と達成感の両方を味わうこと。日の出とともに東広島市西条を出発し、シティサイクルで約55km先の尾道港へ。尾道ラーメンでエネルギーを補給し、しまなみ海道で今治までさらに約70km。6つの橋の上り坂ではペダルも心も折れそうになった。それでも日が暮れかかるころに、今治に到着した。夢中で食べた今治焼豚玉子飯は、疲れも痛みも吹き飛ぶおいしさだった。2日目はフェリー等の利用も考えていたが、シティサイクルで帰ることを選択した。私たちは、しまなみ海道を走る楽しさにすっかり魅了されていたのだ。ペダルを漕ぐ脚は重かったが、心は春風のように軽かった。走行距離は往復で約250km。各日の出発から到着までの時間を合計すると、25時間の長旅だった。この経験は、しまなみ海道のような安心感で私の背中を支え続けてくれている。

入選作品④:栁澤 恵美さん(長野県上田市)

《エピソード》

2024年3月の春休み、家族5人でしまなみ海道を訪れた。目の前の海と大きな橋、普段とは違う景色にウキウキ感があふれてくる。今年、子供たちは長女10歳、長男8歳、次女6歳になる。皆の年を足しても「24」。しまなみ海道が25年も前からあるなんて知らなかった。。。
1回目のしまなみ海道の「1」をプラスして「25(ニジュウゴ)」だ!なんて思いながら長野県から運んできた自分の自転車のペダルをこぎ始めた。
サンライズ糸山で子供たちの自転車をレンタルして、いつもよりカッコイイ自転車に乗って、早速登り坂でも、息があがっても、子供たちのテンションは下がらなかった。でも、末子の自転車は切り替えがついていないから心配していた。登り坂の途中で何度も停まって、「大丈夫?」と声をかける。「もうやだ」って言うと思ったら、予想外の答えをもらった。「絶対、ぜった~い最後まであきらめない!」って。衝撃。感動。しまなみ海道まできたかいがあった。

入選作品⑤:西 修作さん(島根県益田市)

《エピソード》

このエピソードを書くにあたって、しまなみ海道をカープ色の原付で走ったことを思い出しました。2000年初頭はカープ低迷期(笑)。当時、背番号25の今の監督新井さんが急成長していた時期でした。いつもツーリング中のヘルメットで「赤い心みせ~広島を燃やせ~♪」を歌っていました。
そんな私も中年になり息子が高校生。息子と車に自転車を載せて各地をサイクリングする幸せな時間を得ることが出来ています。丁度「今度聖地しまなみ海道を走りに行こう」と話をしていました。しまなみ海道25周年に合わせて新井監督の25のユニフォームを着て親子でしまなみ海道を走るなんて素敵だなぁと思い描いているカープ馬鹿です。
(新井さんが好きすぎてカープの入団会見が実施されるリーガロイヤル広島で2月5日に結婚式をしました。)

入選作品⑥:菅野 克弘さん(愛媛県今治市)

《エピソード》

25年前の春、25歳の私は地元今治に帰り、家業の小さな薬屋を継ぐことに。
嫁さんとまだ一歳にもならない息子との帰郷、そして今では珍しい親との同居。
期待と不安とわずかな荷物を車に積み込んで、初めてしまなみ海道を渡りました。
こんなに立派な橋が、我が町に出来たことに驚いたことを思い出されます。
それから、ひたすら走り続け、気付けば頭の白さも目立ち始める年代に。
今までやってこられたのは、色々な方の助けがあってのことだと感謝しかありません。
お客さん、子供たち、文句も言わず付いてきてくれた嫁さん、
そして、女手一つで私を育ててくれた母。
幼稚園の文集で「店を継ぎ母を支える」と書いた通り、夢をかなえることができました。
母の一周忌を終え、目標が消え心が定まらない日々が続いていましたが、諸行無常、この文を書くことで、これではいけないと思い直せました。もうそろそろ歩き出せ。まずは手始めに「サイクリングしまなみ」かな!

入選作品⑦:小田 真一さん(岡山県井原市)

《エピソード》

遡ること25か月前。コロナ禍まっただ中,3密を避けて楽しめるのは自転車だと,品薄で四国まで買いに行ったロードバイクが趣味です。初めの頃は,夫婦で近くの朝市をめざし,半ばピクニック気分のサイクリングでした。
しかし,同僚の先輩が語った「しまなみ海道には,サイクリストの聖地があるんよ。」この一言で,意識に変化が…。
調べてみると,世界的に人気の場所だと知り,即「行ってみたい!」と憧れ,自転車を愛車に積んで現地周辺で楽しめるようアイテムを整備。
いざ,しまなみ海道!
最初に訪れたのが,因島とゆめしま海道。実はスタンプラリーの賞品めあて。笑えます。思わぬことに,ロードと橋のアップダウンが激しい道程。何とかクリアして,憧れが「しまなみ海道完走」にアップしてしまいました。
そこで作ったのが,尾道から今治までを5つに分けた『しまなみ海道制覇マイプラン』。
結婚25周年の私達は,今年,絶対に完走したいと企んでいます。

入選作品⑧:岡原 和輝さん(愛媛県今治市)

《エピソード》

25歳の夏、微風がさらさらと舞い踊る、夏の亀老山において吾輩は彼女に「結婚してください。」という一言とともに真っ赤なバラを贈った。バラの花言葉が語るように、愛と約束が花開く瞬間であった。彼女、現在の妻はプロポーズを受け入れ未来への道を選んでくれた。
亀老山の山頂から見下ろすしまなみ海道は、雄大で美しい。「しまなみ海道って未来へと続く二人の幸せな旅路の象徴・・・みたいだね」、絶対これは言っていない。
それから2年後、洗濯機から取り出した洗濯物をそのまま床に置いて干していると、「洗濯物はカゴに入れてよ!」洗面台で顔を洗い、リビングに戻ると「こまめに電気消してよ!2人でベットに入り布団を顔まで上げると「布団上げすぎ!」これはまずい、絶対にペア出走券を手に入れて、未来へと続く幸せな旅路を妻と共には知らねば!
と思う、27歳の吾輩であった。

入選作品⑨:松尾 栄子さん(愛媛県新居浜市)

《エピソード》

転勤して数カ月経った頃、毎日通勤に使っていた自転車の老朽化で買い替えようと決めた主人。職場の先輩に相談したところ、「せっかくならいい自転車にせんかい!」と、ロードバイクの店を紹介してもらいました。早速主人と一緒にその店へ。思っていたより、いいお値段するのね・・・主人も同じ感覚だったようですが、気に入ったモデルの自転車は25万円のものでした。「気にしないで、好きなのえらびよ~!」と声をかけましたが、「いや、やっぱこっちにするわ!」と気を遣って1ランク下の自転車を購入しました。
それから5年。あの時の自転車はまだ元気に走ってくれています。上の子も、市内を主人とサイクリングできる年になりました。いつも私たち家族のために頑張って働いてくれる主人、「みんなが大きくなったら、しまなみ海道を一緒に走るんが夢や。」その夢、いつか叶えてあげるね!と心に誓う私です。

入選作品⑩:牧本 聖子さん(広島県広島市)

《エピソード》

「島からの脱出」が思春期のわたしの目標だった。その頃、島は陸続きではなく、青春真っ盛りのわたしにとっては、まるで収監されているような感覚だった。早く本土に出たかった。鬱々と感じた日々。やがて、進学に伴い、晴れて産まれ育った島から出た。
橋がかかったと聞いたのは、本土で就職し、3年経った頃。免許を取って節約し、自分で乗り回せる中古車を買って、意気揚々と帰省したものだ。尾道水道で、箱庭のような街を見下ろし、因島大橋で、両側にキラキラと陽の光を反射する海面に多島美が拡がると、まもなく故郷の生島口が見えてくる。外に出て改めて、収監されていると思っていた故郷がどれだけ美しいか、どれだけ守られていたかを感じることが出来た。
あれから25年。また、橋を渡って島に帰る。私が一番好きなのは5月頃、橘の花が一斉に咲き、一面に甘い香りが漂うあの季節だ。わたしの足元から故郷に、しまなみ海道はしっかり繋がっている。

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25エピソードの入選者決定

サイクリングしまなみ2024の舞台となる“瀬戸内しまなみ海道”が今年5月に開通25周年を迎えることから、合わせてPRすることで大会を盛り上げるため、「しまなみ海道」と「25(ニジュウゴ)」にちなんだエピソードを募集し、審査の結果、入選作品10点が決定しました。

高速道路や瀬戸内の美しい島々

【募集結果概要】

  • ○募集期間   令和6年2月16日(金)~3月31日(日)
  • ○募集内容   「しまなみ海道」と「25(ニジュウゴ)」の2つのキーワードを盛り込んだエピソード(400文字以内)
  • ○入選者特典  サイクリングしまなみ2024ペア出走権贈呈 10組〔②コース×各⑤組〕
    ・Bコース(尾道⇔生口島)×5組 ・Hコース(今治⇔大島)×5組
  • ○応募実績   計16点

【入選者一覧】

応募者名 居住地 エピソードの概要
Bコース 若藤 惇 愛媛県 上島町内で勤務経験あり、夫婦の誕生日・入籍日が25日
茅原 一斗 愛媛県 25年前、広島へ進学。結婚式準備でしまなみ海道を毎週往復していた
福田 真也 広島県 学生時代にしまなみ海道を自転車旅。往復250㎞、総時間25時間
栁澤 恵美 長野県 子供3人の年齢の合計24に、しまなみ海道を家族で訪れた回数1を足して25。
しまなみ海道でのサイクリングは衝撃・感動
西 修作 島根県 カープ新井監督(背番号25)のユニフォームを着てしまなみ海道を走りたい
Hコース 菅野 克弘 愛媛県 25年前、25歳の時にしまなみ海道を通って地元今治へ帰り、家業を継いだ
小田 真一 岡山県 結婚25周年。25ヵ月前にロードバイクを購入、憧れはしまなみ海道完走
岡原 和輝 愛媛県 25歳の夏、亀老山展望台でプロポーズして結婚。夫婦で走りたい
松尾 栄子 愛媛県 夫が25万円のロードバイクを気に入ったが、値段を理由に断念。
子供が大きくなったら家族でしまなみ海道を一緒に走るのが夢
牧本 聖子 広島県 進学で生口島を出て本土で就職し25年が経過。帰郷時に瀬戸内の美しさを再認識

【その他】

入選作品(10点)は、今後、大会公式HPやSNS及び本州四国連絡高速道路株式会社HPや機関紙等で順次紹介させていただきます。

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25エピソード募集

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